歴史
このコーナーでは、この本で取り上げられた100人をベースにして、歴史の中の、そして現代のドイツの偉人たちを10人ピックアップして紹介していこうと思います。と思ってはいたのですが、10人を絞るのはなかなか難しい。歴史、音楽、哲学、現代政治、芸能界、というジャンル多彩な100人の中からあの人もこの人も、と選んでいくとあっという間に10人オーバー。・・・ドイツ史の奥は深い。とにかく、10人をキーパーソンとしながら、10回に分けて、ドイツ史、現代ドイツ事情を軽くナナメ読みしていこうと思います。
ドイツを旅行する、ドイツの人々と触れ合うためには、もちろんドイツの歴史や文化に多少精通していなければならないのは確かです。しかしドイツの歴史はヨーロッパ全体の歴史とリンクする部分も多く、ややこしいし、これを全て頭に入れるのは大変です。ここはひとつ肩の力を抜いて、ドイツのキーパーソン10人だけ頭に入れて知ったふりしておけば、旅行中に見かけた歴史的建造物にも何らかの意味が見出せるのではないか?というのがこのコーナーの趣旨です。
まずはかるーく世界史の教科書をおさらい
ゲルマン民族といえば、(なぜか)大移動なわけですが、 このゲルマン民族、いくつものグループがあって、西ゴート族、ブルグンド族など、様々あったようです。 もとは北欧にいたようですが、それが南下しながら、ローマ帝国の近くや、黒海あたりまで広がっていきました。 今ドイツがある地域はもとはといえばケルト人の土地でした。 彼らも彼らで、ゲルマン人に追い立てられるように大陸から姿を消し、今のアイルランドやスコットランドなどへ流れていきました。 現在のドイツでも、ケルト語の「塩=ハル」のついた地名でその名残を知ることができますね。 そこで今度は東のほうから、アジア系の遊牧民族のフン(Hun)族という集団がやってきます。 これによってゲルマン人たちは本格的な大移動を開始しました。これが375年ごろの話です。フン族に押された数々のゲルマン人グループは、ローマ帝国に侵入していきます。 当時のローマは東西に分断され、特に西ローマ帝国は勢力もかつてよりは弱体化していたようです。 というわけで西ローマはあっけなくゲルマン人に滅ぼされます。 西は滅びましたが、東ローマのほうは、フン族たちの侵入に遭いましたが阻止でき、ビザンツ帝国としてその後も続いていきます。東のほうが強かったんですね。
フン族はその後大帝国を築きましたがやがて滅び、マジャール人たちと混血が進み、今のハンガリー(Hungary)になっていった、ということです。 さてアルプスより北、本題のドイツの話ですが、このあたりを支配し始めたのは、ゲルマン民族のフランク族 という集団による国家です。リーダーはメロヴィング家のクローヴィス。6世紀ごろまでにはかなりの勢力になっていたようです。 これには宗教が大いに関係してきます。かつて彼らが土着の信仰から改宗したのは、キリスト教でもアリウス派註1)でした。 彼らはこれからアタナシウス派註2フランク族の国家はやがてメロヴィング朝からカロリング朝になり、ある男が西ヨーロッパを統一します。カール大帝(シャルルマーニュ)800年カールの戴冠ローマ皇帝ヨーロッパが安定するという意味があります。ローマ教皇の側からは、ビザンツ皇帝からの支配(註3)からの脱却を図った教皇が新たな勢力を求めていたことからも、お互いの利害が一致したのでしょう。 というわけで、東はビザンツ、西はフランク、というふうに、中世ヨーロッパは2つの巨大な勢力でスタートするというわけです。宗教界も東はビザンツ皇帝が支配するギリシア正教、西はローマ教皇が支配するローマカトリック、というふうに2分されます。
カールの戴冠は、ヨーロッパ史の重要なターニングポイントです
これでヨーロッパは安定するかに見えましたが、カール大帝の死後はメチャクチャ。 カールがいかに優れた人物だったかがよくわかります。とにかく巨大なフランク王国は3分裂、これがドイツ、フランス、イタリア のもとになったわけです。この3つのフランク王国のうちドイツは東フランク註4カロリング朝選挙で王様を選ぶというのは何か奇妙な響きですが、ゲルマン民族の政治は昔からそんな感じのようです。 王に選ばれたのは、ザクセン族のハインリヒという人です。 このザクセン族、というのがミソで、 彼らはカール大帝がヨーロッパ統一の際にかなり苦戦を強いられた相手らしいのです。そんな彼らが「フランク王」なわけですから選挙という制度は面白い制度ですね。 ザクセン公ハインリヒ(ハインリヒ1世)の次にザクセンから出てくるのはその子オットー。 いよいよ主役登場です。これでようやくホントの本題のドイツの歴史が始められるわけです。


















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